食のたび−箸と和食の文化史

見どころ

私たちにとって身近な「食」は、季節や風土によって様々な彩りをみせています。
歴史的にみると、日本の食文化は日本列島固有のものだけでなく、朝鮮半島や中国などの影響を大きく受けています。
2013年には「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
本展覧会では、これら東アジアからの影響によって形成された日本の食文化とその特質について、箸を中心に、古代から中世、江戸時代から明治までの食の歴史を辿ります。
それはまさに「食のたび」
美味しい食の歴史のたびに、さあ、出発です。

第1章「箸と生活 ー中日韓箸文化展」

中国大連市の旅順博物館が所蔵する貴重なコレクション104件を一挙公開します。

銀箸・清代ぎんつくったはし

箸は中国で誕生し食事様式によって箸の使い方も異なりました。中国では古代より箸を縦置きにしていましたが、唐の時代には横置きにするように変化し、その文化が日本にも伝わりました。しかし、宋の時代になると再び縦置きをするようになりました。

木胎紅漆勺・宋代(あかいうるしったさじ

匙は箸とともに食事に欠かせない道具でした。主食であるご飯は匙を使い、箸は熱い汁の具を取る時にのみ用いるなど、礼儀作法も厳しく定められていました。

銀果叉・中華民国時代ぎんつくったフォーク)

フォークは今から約4000年前、商・周の時代から戦国時代まで使われましたが、他の時代にはあまり用いられませんでした。フォークは貴族など、上流階級の人びとの専用品であったことが、利用が広がらなかった理由の一つかもしれません。

旅遊餐具・清代旅行用りょこうよう食器しょっき

旅先やピクニックなどの外出時に使うもので、箸、匙、ナイフ、フォーク、皿、杯がセットになっています。持ち運びしやすいよう、専用のケースに入れていました。

刀箸・清代(ナイフとはし

清代になり、漢民族がモンゴルに住むようになったことで、モンゴル族の食具に変化がありました。それまで肉を切って手で食べていたモンゴル族は、箸を使うようになったのです。「刀箸」は、ナイフと箸がセットになったものですが、モンゴル族と漢民族の文化が融合した資料です。

第2章「日本の食と箸」

日本で箸が使われ始めたのは奈良時代からとみられています。遺跡から出土した考古資料を中心に日本の食について紹介します。

卑弥呼ひみこの食事・弥生時代(大阪府弥生文化博物館提供)

弥生時代の女王、卑弥呼ひみこの食事を想像・再現したものです。豊かな山海の珍味が食卓に並んでいたものと思われます。土器に加えて、漆塗りの木製品である漆器がすでに使用されていました。弥生時代の日本にはまだ箸が伝わっておらず、これらの食事は手づかみで食べていたことがわかっています。
※展示は画像のみです。

長屋王ながやおうの食事・奈良時代 料理復原 奥村彪夫おくむら あやお氏 (奈良文化財研究所蔵)

奈良時代の貴族、長屋王ながやおうの食膳を再現したものです。この膳は漆器を用いていますが、他に金属製の食器も使用されるようになりました。奈良時代の貴族たちは中国から伝わったとみられる、箸と匙をつかって食事をしていました。庶民に箸が伝わるのはまだ後の時代です。

墨書土器ぼくしょどき・奈良時代 (奈良文化財研究所蔵)

奈良時代の役人たちは、職場である役所で支給される給食のようなものを食していました。そのときに使ったとみられる器に文字が書かれためずらしい資料があります。
飯や汁を盛る土師器の椀の外側に「醴太郎」という自身の名前に加えて「炊女(料理を作る女性)よ、取らないでください。取った者はムチで50回叩きますよ」とあります。現代のように、食器を一人が専用で使用していた様子をうかがうことができます。

餓鬼草紙がきそうし』写し・平安時代末~鎌倉時代初頭 (国会図書館デジタルコレクション)

餓鬼草紙がきそうし』は平安時代末ごろから鎌倉時代初頭に描かれた、地獄の餓鬼道世界の絵巻です。餓鬼たちが人の便つまりウンチを食べている場面が描かれていますが、ここに箸がみえます。路地で便をする人びとが手に握っているのが、箸の最後の使用方法「籌木ちゅうぎ」で、便を切るためのものとみられます。福岡市の鴻臚館遺跡では大量の箸が出土しましたが、これらのうちのいくつかはおそらく籌木であったと思われます。
※展示は画像パネルと籌木です

第3章「和食の誕生」

一日三食、「一汁一菜」を基本とする料理様式は、江戸時代に始まりました。和食の特徴を通して、江戸時代の多様で豊かな食生活の実相を解き明かします。

吉原廓図屏風・江戸中期 (福岡市博物館)

吉原の調理場の様子で、たくさんの鍋や食材が並び、男性たちが調理をし、女性たちが器の準備をしています。すりこぎを持つ男性は器用に足ですり鉢をおさえ、庖丁を握る男性は食材に直接触れないよう左手に箸を持っています。左手前の男性が手に持っているのは鰹節のようです。

狂歌ねぼけ百首・天保11年-天保13年(1840-42)
画:安藤広重、讃:太田南畝 (北九州市立美術館)

大鉢と刺身のような大皿料理を肴に酒を飲む男性が描かれています。手前の火鉢では、ちろりに酒を入れて燗付けをしています。狂歌師として有名な太田南畝(蜀山人)(1749-1823)が讃を入れています。

朝鮮通信使饗応膳・復原資料 (新宮町教育委員会)

江戸時代、外交のために朝鮮王朝が派遣した朝鮮通信使は、対馬から日本に入り、相島(現在の福岡県粕屋郡新宮町)に宿泊した後、江戸へ向かいました。
この料理は天和2年(1682)福岡藩が用意した饗応膳で、儀式用の七五三の膳を引いた後に出す引替膳です。実際に食べるための料理のため、珍しい食材を使い、美しく、味を楽しむ料理となっています。

第4章「動物観と食文化」

日本列島では多様な自然環境のもと様々な動物が食べられてきました。たんぱく源としては魚が基本で、肉食は禁じられましたが、実際には鳥や猪などの獣肉(野生動物の肉)や昆虫も食べられました。江戸時代の人間と動物の関わりの中で日本の食文化を考えます。

日本水産魚譜 (ニッスイパイオニア館所蔵)

魚類標本はすぐに色あせてしまうので、「色彩形態を描写して、天然のままの姿を記録」して「世に公表」するために作成されました。実際何度か印刷され、魚類図鑑としての役割を果たしました。今回は19種を厳選し(会期の前後半で半分ずつ展示)、日本の食生活との関わりに注目して紹介します。

『鶴包丁図』 (福岡市博物館所蔵)

鷹を使って鳥や獣を捕る「鷹狩」は将軍や大名だけが行うことが出来ました。鷹狩で捕らえた鳥獣類は武家の贈答品として利用されました。特に鶴は姿の美しさと長寿が愛でられ、鷹狩で捕らえた「鷹の鶴」は最高の贈答品でした。
将軍の鷹狩による「御鷹の鶴」はまず天皇に贈られました。宮中では専門の人が鶴を捌いて、天皇以下で食べる「鶴包丁」の儀式が行われました。
オオタカ

食に関わる動物標本 (当館所蔵)

寛永20年(1643)発行の『料理物語』には、鹿・狸・兎・ 獺 かわうそ・熊・犬が食材として、調理法とともに紹介されています。当時は戦国乱世の風が残り、武士は狩猟を好み、肉食も一般的だったようです。今回は『料理物語』に見える獣や鷹狩に関わる鳥の剥製標本を展示し、人との関わりを紹介します。自然史と歴史の両分野を有する当館ならではの展示です。